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ジョン・テイラー (カロライン) : ミニ英和和英辞書
ジョン・テイラー (カロライン)[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ジョン・テイラー (カロライン) : ウィキペディア日本語版
ジョン・テイラー (カロライン)[ちょうおん]

ジョン・テイラー(、1753年12月19日 - 1824年8月21日)は、アメリカ合衆国バージニア州出身の政治家、著作家である。通常カロラインのジョン・テイラー()と呼ばれる。バージニア州下院議員(1779年-81年、1783年-85年、1796年-1800年)、アメリカ合衆国上院議員(1792年-94年、1803年、1822年-24年)を務めた。政治と農業に関して数冊の著作を著した。ジェファーソン流民主主義者であり、その著作は後の州の権限リバタリアン運動にヒントを与えた。2008年に歴史家のシェルドンとヒルは、テイラーを共和主義古典的自由主義の交差点に位置していたと論じた。その立場を、「ジョン・ロック自然権、自由、制限された政府への関心と共に、集中された権限と富、政治的腐敗、財政操作を防ぐための規制に市民が強く参加することにおける古典的な興味の組み合わせ」と見ている〔Sheldon, Garrett Ward, and C. William Hill Jr., p. 224〕。

テイラーは強い全国政府に次のように反対した。

連邦政府を創設するときに、各州は主権の最高の行動を実行し、もし各州が喜ぶならば、その壊滅によって主権の証明を繰り返すかもしれない。しかし、連邦は各州のように生来の主権を持っていない。それは自分で決められない。それは慣習としてのものであり、もちろんそれが形成される主権に従属する - カロラインのジョン・テイラー

== 経歴 ==
テイラーは小さな子供のときに孤児になった。母方の叔父であり、バージニアの指導的政治家、弁護士、判事だったエドモンド・ペンドルトンの養子になった。仲間の生徒とともにドナルド・ロバートソンのアカデミーで学んだ。その仲間にはジェームズ・マディソン(遠い従兄)やジョージ・ロジャース・クラークがいた。ウィリアム・アンド・メアリー大学に入学し、その後叔父の事務所で法律を学んだ。アメリカ独立戦争のときには大陸軍に従軍して大佐の位まで昇り、パトリック・ヘンリーやウィリアム・ウッドランド将軍の下に仕え、ラファイエット侯爵の下では1個連隊を率いた。
戦後は弁護士、農園主、および一時期は政治家として暮らし、バージニア州議会下院議員を務め、州選出アメリカ合衆国上院議員の空席となった議席に3度指名された。1783年にノースカロライナ州の政治家でありアメリカ独立宣言に署名したジョン・ペンの娘、ルーシー・ペンと結婚した。テイラーは、ジェファーソンマディソンが真の共和政原則を断念していると考えたターシャム・クィッズ(第3の党)の一員だった。ターシャム・クィッズはジェファーソンの政策の幾つかに反対したが、テイラーのジェファーソンに対する評価は寛大なものだった。1804年、『トーマス・ジェファーソン政権の政策手段の弁護』と題する小冊子を出版した。ジェファーソンとテイラーは多くのことで意見が一致した。実際にジェファーソンの見解から出たほとんど全てのことで合意していた。ジェームズ・マディソンとジョン・マーシャルがテイラーの最も傑出した敵対者であり、「より活力ある中央(政府)の権限を正当化するための活動で、(国家設立の)記録を捻じ曲げている」と批判した〔See M.E. Bradford, "A Virginia Cato: John Taylor of Caroline and the Agrarian Republic" (republished as ed. intro. to Taylor's ''Arator'' 35 (Indianapolis: Liberty Fund 1977) (1818)).〕。1808年アメリカ合衆国大統領選挙では、マディソンの大統領選出に反対し、ジェームズ・モンローを支持した。
テイラーはバージニア農業協会の初代会長を務め、農業を推進するためのフィラデルフィア協会では終身会員だった〔Id. at 41.〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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